お知らせ(ブログ)
世界の流れが怖い

ロシアによるウクライナ進行、中国による東シナ海進出、アフガニスタンにシリア、リビア、イエメン、そして北朝鮮。
戦争の原因は民族・宗教・資源・食料・そして政治や領土。
様々な問題が複雑に絡み合い、内戦や戦争そして侵略が起きてしまい、さらに同盟や条約で各国が様々な枠組みを組んでいるので当事国の二国間の問題だけでは済まなくなっています。
日本も中国や機や朝鮮の脅威に対し、自国を守る備えとして防衛力を高める必要はありますが、敵地攻撃能力も備えるとなると日米安全保障条約に基づく集団自衛権の行使のためとも言えます。
もちろん、日米安保条約があるからどんな時でもアメリカが日本を守ってくれる。日本は1発の銃弾も打たずにアメリカが守ってくれる。なんてことは絶対にありません。
当然、アメリカは共に戦う決意を求めてきますし、日本は具体的な装備でその決意に答えるしか術がないのが現実だと思います。
憲法9条で日本は守られていると言われる方もいますが、一方的に進行された場合は何の役にも立ちません。
進行されても戦争はしない=白旗を振って降参し侵略を認めることになってしまいます。
かといって、9条を改定し、軍隊を持ち敵地攻撃のミサイルや核を持てば、ますます力比べ戦闘力比べのスパイラルに巻き込まれてしまいます。
さらに、日本だけ日本人だけ、無事なら平和なら良いという考えは世界で通用しません。
内戦や侵略により、資源も燃料も食料も世界中で不足し価格が高騰し始めています。まさに悪夢の歯車が回り始めているような不安が高まっています。
憲法解釈だけでは限界もあると思うので、国会は早急に「マトモな憲法改定議論」を行い、取りまとめていただきたい。
岸田総理は外交に長けていると思うので、世界各国と様々な裏合わせを行っていただきたい。
第三次世界大戦は、この2~3年で動き出すきがしてなりません。
世襲議員はダメなのでしょうか?
立憲民主党が「世襲抑制法案」なるものを提出するとのこと。
これは、主に「国会議員が自身の親族に自らの関係政治団体を引き継ぐことを禁じる」いわゆる政治新規正法の改正により、世襲する場合の資金源を断つとともに、政治団体を引き継ぐ(現行法では無税)時点で、贈与税も相続税も掛からない不公平さを無くそうというものですが、
他人の政治団体を迂回すれば同じことで大きな抜け道のザル法に感じます。
政治団体も宗教団体も全て税金をかければ済む話でしょ。
もともと、政治団体も宗教団体も利益を追求する企業とは性格が異なり、活動するための資金は寄付(お布施)によるものだから。というのが非課税の理由だと思いますが、政治資金パーティーを開催し、売り上げ目標を立て確実な利益を上げているのですから取得税くらい払うべきだと思います。宗教団体にしても所得税をかけることによって、個人のお布施の上限に歯止めをかけることも可能になると思います。
なにやら世襲議員そのものがダメという空気が立憲さんのなかにはあるようですが、世襲もそれぞれ。ボンクラもいれば、流石は親の背中を見てきたなと感心できる議員もいます。
何より選挙で付託されるのですから、世襲禁止は職業の自由を保障する憲法に抵触します。
さらに、今の時代は「世襲議員」というだけで、世間の目はさらに厳しくなる風潮だと思います。
政治資金規正法は、与野党とも自分の首をしっかりと締めつっける厳格な法改正でないと世間は納得しないでしょうね。
月額100万円の文書交通費の扱いも、うやむやになったままでしょ。
私は、「かれこれ必要な経費だから、しっかりいただいて活用します!」と国会議員全員が堂々と声をあげれば良いと思ってます。国会議員の事務所運営は、ホントお金がかかりますから。
本日よりインボイス制度が始まる

マスコミでもSNSでも、インボイス制度はフリーランスや零細企業の事務負担が増え収入が減る。悪策だと批判の声が高まる中、今日から制度がスタートします。
そもそもインボイス制度は2016年の税制改正で導入がきまったのに、なぜ7年も反対の声が高まらなかったのか不思議でなりません。
インボイス制度は、軽減税率による消費税率の違いを明確にしスムースに消費税を納める(みなし事業者からもガッツリ税を徴収する)ための制度で、そもそも8%・10%の複数税率が無ければインボイス制度は必要ないと国会答弁でも出ていました。
となると、複数税率(軽減税率)を推進したのは公明党だったことを皆さん覚えていますか?
そして軽減税率を後押しし、ちゃっかり自分たちも軽減税率の対象になろうとゴリゴリにロビー活動を行ったのが「新聞協会」でした。
見事、新聞協会のロビー活動は成功して、新聞は軽減税率対象という優位に立ち週刊誌などと差別化を図ることができました。
※自分たちは軽減税率の優位性にあやかることができたので、インボイス制度を問題視してこなかったのだと思います。
とはいえ、制度は始まったのですから、登録して消費税を納めるか、登録せずに頑張ってみるかの二択しかないのが現実です。
仮にインボイス制度を廃止する代わりに消費税率を一律10%にするとなったら、世間の反応はどうなるのでしょう?
とある漫画家が「アシスタントスタッフは200万程度の収入しかなくインボイス制度で消費税を払うと生活は極限まで厳しくなる。業界の衰退につながる。」と訴えていますが、そもそも漫画のアシスタントは超過激な労働環境なのに200万円しか年収がない事が問題で、アシスタント=弟子=修行という超ブラック企業の考えが未だにまかり通っていること自体が大問題なのです。
フリーランスと呼ばれる人たちの仕事内容は様々ですが、毎日サラリーマン並みに職務についている人は少ない(仕事のある時だけ仕事をする→毎日8時間の勤務を要する職種ではない場合が多い)
クリエイターなどは、アイディアと開発に膨大な時間を要する場合があるが、当たれば収入も莫大なケースもあり、その人それぞれの仕事やライフスタイルに対する考え方の違いでその職を選択しているのですから、制度に合わすか制度を乗り越えて仕事を受注するか。
その上で、社員だろうがフリーランスだろうが年収300万円未満の収入は所得税率を思い切って下げ、実質の手取りを確保する税率改正は必須だと思います。
岸田総理の格差是正は、なかなか納得のいく施策が未だ見えてこないのも事実でしょう。
教員の不祥事
またまた静岡県の教員が窃盗(置き引き)で逮捕されました。
教員・警察官・行政職員、そして議員などの公務員は、世間から特別な目で見られていることが分からないのだろうか?
同じ法律違反でも、世間の感情は一般の人が犯した時より厳しい。
それは給料の原資が税金であること。
労働の対価として給料をいただく権利はもちろんあるのですが、行政が稼いだお金でもなければ、自らが利益を上げた配分でもありません。
公務員に利益を追求(行政は催事などを通じて利益を出したり、経済効果による税収増を追求する場合もある)しません。
市民県民が、安全安心な社会、より良い暮らしへの願いを込めて税金を納め、そこから給料が支払われているのです。
ですから私欲で法を犯すことには、ことさら厳しい批判を受けます。当然です。
一方、不慮の交通事故(過失割合が少なくても)でも過激な批判や馬頭を受けてしまうのも問題です。
極端な話、公務員がベンツに乗ってるだけで批判されることもあります。自分のお金なのですから、どこのメーカーの車に乗ろうが自由です。
給料以外に不動産や投資での収入があれば、贅沢したって構わないと思うのですが、批判の対象となるのも事実。
私も趣味でバイクや車を数台所有していますが、全て古いボロバイクと車なので、批判の的にならないのは幸いです。笑
話は逸れてしまいましたが、教員の給料が安過ぎる→教員(採用試験)不足→良い人材が集まりにくい。との指摘がありますが、現状では職に就いてからの教育・指導体制を充実させるしかない二でしょうか?
7年間開催しなかった理由の説明は?

川勝知事と浜松市・静岡市の両政令市長との会談G3が7年ぶりに開催されました。
7年間もの間、3者会合が行われなかったのは、県民のだれもが周知の「前静岡市長と川勝知事の確執」です。
この会合は、深刻な人口減少を食い止めるための教育環境整備や激甚化する豪雨災害に対応した河川管理などを議論し、川勝知事は「充実した実質的な会議になった。」と開催の意義を強調しました。
静岡県の人口減少問題は今に始まったことではありません。この7年間、人口の最も多い政令市との協議を怠っていたのは誰ですか?
激甚化する豪雨災害もこの2・3年の話でもありません。
大切な協議の場を7年も放置しておいて、今さら何言ってるの?という感が強い。
そもそも、このG3を開催しなくなったのは、田辺前静岡市長が「政令市は県と同等の権限を認められているので静岡市の内政にあまり口出しするな」という至極まっとうな意見に川勝知事が腹を立てた。それだけの理由です。
正論を言われ、自分こそがこの静岡県の唯一無二のトップ(王様)であるというゆがんだプライドが傷つけられということです。
組織の長は、その権力を振りかざすのではなく、全体のまとめ役・相談役に徹するべきなのに、常に権力の刃を振りかざし、自分に批判的な人を排除する。
これは、県内市町の首長だけではなく、職員(幹部)や議員に対しても同じことを繰り返してきたと感じています。
今、県庁では県民が感じている以上に組織崩壊が進んでいます。部局の幹部は川勝知事の顔色を見ながらビクビクし、知事の無責任かつ独断での決めつけ発言の火消しに終われ、真っ当な意見も知事にとって耳が痛い事実報告もなかなかできない状態がまま見受けられます。
県庁(組織)は何のために存在するのか?知事のためではなく県民の幸せな生活の実現のために存在するのです。
我々、議会も同じ。知事と仲良くするためではなく、知事とけんかするためでもありません。
どうしたら、静岡県民が安全安心な社会で心豊かな暮らしを送ることができるか。この一点を追求していくのが責務。
ダメなものはダメと声をあげ、気持ちの悪い擁護派はしない。逆にだけ出しをするならポーズではなく、知事の首を取る覚悟(同時に県民のためになる知事候補の擁立)を持って挑みたい。