お知らせ(ブログ)
鈴木知事に「幸福度」について質問しました
鈴木康友さんが県知事となって初の6月定例会の一般質問にて登壇しました。
16年間の鈴木康友浜松市政において、一般社団法人日本総合研究所の調査では政令指定都市において浜松市が「幸福度日本一」になりました。
この発表を受けて鈴木知事は市長時代に「政令市で日本一ということは全国の市町で日本一だ」と誇らしげに語っていました。
市民が浜松市に誇りを持ち、幸福感を持っていただくことは大切なことですが、別の民間研究機関の調査の「第5回地域版SDGs調査2023」では、静岡県は26位。
さらに、他の民間調査の「住みよい街ランキング」では、浜松市は109位とその判別は様々。
つまりは、調査会社や調査方法によってランキングなんてものは、いくらでも変わってくるし、住民の一人一人が幸福感を持ってもらうことが大切なのです。
日本一と胸を張る一方で、ご承知の通り静岡県は人口当たりの交通事故が日本ワーストワン。その静岡県内35市町の中で浜松市がワーストワン。
交通事故ワースト日本一の浜松市が、どうして幸福度日本一になるのでしょうか?
さらには、静岡園内の自殺者は約600人。うち浜松市は約200人。静岡円の生活保護世帯は約30万世帯もあり、不登校の子どもたちは県内で約1万人。
これらを見ないことにして「幸福度日本一」だと胸を張る行政は、住民の幸福度追求の思考回路が停止してしまっているのではと危惧します。
幸福度はそれぞれの思いで感じるもので、行政は幸福度アップ(※日本一のランキングでを追うものではない)のために、ゴールのない永遠の追求課題であるべき。
との思いを知事にぶつけてみましたが、答弁は「ウェルビーイング指標」に照らし合わせるとの答弁でした。
ウェルビーイング=アンケート調査による主観的幸福度と経済や健康や暮らしの環境を客観的に数値化したもので、最も現実に近い指標ですが、こればかりを追い求めていると
人としての大切な感情が置き去りにされてしまうのでは?と心配になります。
静岡県民360万人の全員に幸せを感じていただくことは不可能です。
だからこそ、ゴールのない課題として行政はチャレンジし続けるべきではないでしょうか?
憲法改正
自主憲法の制定は自民党の党是であるはずなのに、一向に話が進まないのは何故?
あくまで私の推測ですが、今の自民党に憲法を改正する本気度は無いと思っています。
自公政権において、公明党は憲法改正には反対の立場。
しかし、連立政権を取っている以上、かたくなに拒むことも出来ない。
一方、自民党は様々な法案を通すために公明党の同意と協力が不可欠。
そこで、常に憲法改正をちらつかせたり、引っ込めたりしながら、ほかの法案について公明党に歩み寄りを促しているのでは?
つまりは、公明党の協力を得るための道具として憲法改正を掲げている気がしてしまいます。
当然、公明党を無視して憲法改正に突き進めば、公明党の選挙協力を失い、自民党は成り立たなくなるし下野する危険性もあるので、
持ちつもたれずの関係を保っているのですが、、、
日本国憲法(9条)を変えると戦争になるという恐怖感を持った一部の人を安心させる材料はありません。←感覚の問題なので
国民民主党の緊急時の国会議員の身分だけを訴えるのも核論過ぎるきもします。
私は、条文の一文字を変えるだけでも良いので、先ずは日本国民の手で作った憲法を見てみたい。
そして、時代に合わせて改正してけば良いとも思っています。
そのためにも、憲法審議会だけは立憲民主党も拒まず開会していただきたい。
国会議員には、自分たちの手で、英知を結集し、新しい憲法を作り、その憲法に責任ある行動をしていただきたいのです。
その時々の都合の良い法解釈もしないことも条件です。
日本人は真面目で勤勉?
自動車メーカーの相次ぐ不正問題が話題になっています。
ゼネコンも建築メーカーなども度々不正工事がニュースになります。
組織の中で、不正を申告し辛い環境があった。開発時間が短すぎて不正せざる得ない状況が形成されていた。などと原因(背景)が報じられますが、はたしてそうなのでしょうか?
日本人は真面目で勤勉だというのは神話であり性善説だったのではないか?
私も「バレなきゃいいだろ?」「このくらいなら少々ごまかしても?」そんな思いがよぎることは日業茶飯事です。
一旦、その思いを止めて、バレたら誰にどの程度の影響を与えてしまうかを想像するようにしています。
自分を誤魔化して、後悔の念やくやしさ・悲しさを薄める分には、誰にも影響を与えませんので。笑
そもそも「ずるがしこさ」は「生物が持つ知恵」であり、人間は特に進化し様々な集団生活=社会を形成してきたように思います。
ですから、日本人を問わず、人間という生き物は「ずるい」「自分(たち)のためには他人を裏切る」ことにより、自分の輪や組織を維持してきたのではないでしょうか?
しかし、個人単位の不正で第三者(周囲の2~3人)に影響(損害)を与える事案と、自動車メーカーの不正では与える影響の規模が違いすぎます。
生産を止めたら、何百社もの部品製造会社への発注が止まり、下請けは大損害を受けます。
大規模建設現場での不正は、工事のやり直しもままならず、大損害・大事件に発展します。
つまりは、不正がバレた時のリスクを考え行動することが大切です。その上で、日常生活の中の「小さなウソ」には寛大に対応することも必要なのかな?と思います。
だって、人間はそもそもズルい生き物なのですから。
もちろん、私もとてもズルい人間だと自覚しています。