お知らせ(ブログ)
参議院議員選挙で日本は変わるの?
マスコミでもSNSでも参議院銀選挙が熱を増していますが、リアルな生活の中では選挙カーの声も稀にしか聞こえてこないし、物価高でそれどころではない。という声も聞きます。
今回の選挙は参議院で与党(自民党+公明党)が過半数を維持したうえで、野党の政策を受け入れながら議論を進めていく半ねじれ国会となるのか、
それとも参議院でも与党が過半数割れし、実質的な政権を失うかの瀬戸際選挙なんです。
つまりは、今回の選挙で、政権がひっくり返る事に「王手」をかけるか否かの、とても重要な局面を迎えていることになります。
とはいえ、野党も立憲民主党から日本保守党まで余りに政治理念が異なる政党が乱立しているので、野党連立により一気に政権交代とはいかないでしょう。
しかしながら、これまで自公政権が推し進めてきた政策は、全般にわたり立ち止まり見直しを迫られることは必須で、これまでの自公政権の是非を真正面から問う選挙となっています。
残念なのは、静岡選挙区のような2議席枠の選挙区で、長い間与野党1議席づつ。今回も、自民党の牧野氏と国民民主党の榛葉氏で与野党1つづつ分けっことなることは有権者の殆どが予想しているため、
いまいち盛り上がりにかけてしまっていることです。
自民党の牧野氏は「これまで経験したことのない強い危機感」とか言ってますが、当選は確実で(得票率は分かりませんが)また6年間は安泰の日々が続くことは、本人も陣営も有権者も腹の奥では分かってるのが事実。
国民民主党の榛葉氏も同様です。前回(6年前)のように、自民1議席確定で、残る1議席を国民民主党と立憲民主党で奪い合う野党起案争いが勃発したときは、えらい緊張感が走り、両陣営とも全力選挙、さらには自民党の一部も巻き込んでの大勝負となりましたが、
今回は、立憲民主党県連も榛葉氏の推薦に回り、実質一本化が成立したので、当確は安泰です。
となると、牧野氏VS榛葉氏は得票率でバチバチに競い合っていると言えます。
私も選挙は地震の選挙も含め、得票率を重視しています。選挙を戦うごとに得票率が落ちていく人は、基本的に仕事をしていないか有権者に飽きられているかが原因で、これは選挙を踏む政治家には致命的な要素だと思っています。
例えば、10人区の地方議員選挙で、毎回、最下位当選だとしても、選挙のたびに得票率がジワジワ上がっている議員の方が、毎回トップ当選だけど得票率が落ちている議員の方が危機感を感じる必要があります。
単純に言うと、有権者の期待や興味が離れているか、期待や目を向けてくれる有権者が増えているか。この違いは、大きいし、選挙の分析としてはとても価値のある数字なのです。
毎度、話がそれてしまいますが、、、、、
今回の参議院選挙は、自公政権に「お灸をすえる。ような生易しい選挙ではない」ということは、ご理解いただいたうえで、投票に足を運んでいただけたらと思っています。
東京都都議会議員選挙
参銀選挙の前哨戦と注目されていた東京都議会銀選挙が終わりました。
結果を見ると、やはり政党支持率にほぼ比例しているのと、看板なしの無所属での当選はかなりハードルが高い=政党選挙なんだなぁと感じました。
一方で、投票率は47.59%と前回を上回り、地方と大差ない投票率となっていることにも感心しました。
さらに、石丸氏率いる「再生への道」や百田氏の「日本保守党」が0議席となったことに、都民の良識というか冷静な投票行動が見られ、安心しています。
特に「再生への道」は公約なし、候補者を擁立することが目的、当選者ゼロでも有権者の意識が可視化できたなど、頭の悪い私にはまったく理解できず、
それなりの志をもって立候補した皆さんが哀れというか、幻想と妄想の世界に突き合わされただけ?と思えてしまいますし、石丸氏は前回の都知事選居で莫大な資金を集めたことから、
今回の都議選もビジネスとして、政党の立ち上げ、候補者の擁立を企てただけじゃないか?とすら感じています。
一発屋は当たれば大きいが、一晩で消滅するもんだなぁ。が正直な感想です。
自民党の惨敗は、裏金問題はまだまだ尾を引いているし有権者は怒っている証拠なんでしょうね。→参院選も確実に影響するでしょうね。
国民民主党も0議席から9議席と躍進をしましたが、もろもろの事案での政党支持率の低下がなければ11~12議席は獲得できたのではと思うと、玉木代表の責任は、党内でしっかり検証すべきでしょうね。
全国の選挙において、投票率は年々下がり、50%がひとつの目標になるような情けない日本の選挙事情ですが、投票に足を運ぶ方は「ちゃんと考えて投票している」のは嬉しい事実だと思います。
6月議会開会
18日(水)より6月定例会が始まりました。
来週からは、代表質問、一般質問が行われ、再来週は常任委員会にて付託議案について質疑が行われます。
私も24日に一般質問で登壇いたしますが、正直6月議会ってのは、質問し辛いんです。
というのも、年度の事業はスタートしたばかりですし、昨年度の事業内容や予算について、あれこれ質問しても既に終了しているので、今回は現状の課題6割、将来への課題4割の内容となりそうです。
これまでのヒアリングや意見交換を通じて、当日の当局の答弁内容も、凡そ魔㎜属のいく答弁が期待できますが、私の場合、本会議での答弁をもとに委員会での質疑で具体的な対策や計画を求めていくのに注力するケーズが多いので、
今年度は「文教委員会(県警と教育委員会)」なので、本会議でのほかの議員さんの警察・教育に関する質疑は全て録音し、散会後、控室で文字お越ししたりしています。
「治水対策」「中小企業・小規模事業者支援」「教育(デジタル化と不登校対策)」この三本柱は、初当選した6年前から継続して毎年質問をぶつけ、河川の改修や搬送型の季語湯支援策を実施していただいています。
教育も不登校対策とデジタル化は、私の思いと教育委員会の思いのベクトルは近いと感じており、様々な意見交換も前向きなお話ができる一方、教員の不祥事=特に性犯罪については、私と所轄の考え方に相当の誤差を感じるし、
仲間を守りたい意識も見え隠れすることもあります。
一人・二人の仲間の不祥事をかばうことにより、教員の信頼度が低下するならば、99人の仲間を裏切る結果になるのです。
悪しき犯罪は根絶する。この強い意識を持っていただくことを切に望みます。
教師が教え子に手をかけた=一発免職なのですが、県内のせいに関する不祥事件数は、なかなか減りません。カウンセリングや意見交換会などを開いているようですが、教員の立場に立った犯罪阻止の考え方では、性癖や窃盗壁は根絶できません。
生徒の立場に立って(信頼している先生に裏切られた心の傷の重さ)これらの犯罪を根絶するには?を真剣に検討し実施していくことが必要なのです。
静岡県も職員への人気が低下しており、採用試験の倍率は1,9倍に落ち込んでいます。東京都を除くと静岡県の職員の給料は日本一高いのに、人が集まらない。
ここも、徹底的な原因分析がひつようですね。
また脱線しました。
行政は誰のために…
ゴールデンウイーク明けから、6月議会一般質問に向け、各部局へのヒアリングを行ったり意見交換をしています。
日頃から感じている事、地域からの声、時局的な案件まで20項目程度についてヒアリングを行い、質問事項を絞り込む作業で、個人的にも大変勉強になる時間です。
各部局の課長と担当者がヒアリングや意見交換にあたってくれるのですが、①課題意識は共有できているのか ②事案に対する解決策を計画または予定しているのか? ③今後、計画や施策を講ずる気持があるのか?
などを聞き取り、こちらも説得の工作をするのですが、中には、話(思考)が全くかみ合わない職員もいらっしゃって、腹の中でスーパーイライラ棒がビリビリとする場面もあるわけで…
その際に感じるのは、「あなたはどこを見て職務についているのですか?」という疑問。担当課長は、もちろん、その専門(課)の仕事を全うするのが役目なのですが、木を見て森を見ずというか、そもそも行政は何のために、誰のために仕事をしているのかという大義を忘れているのでは?と疑問に感じてしまう発言が出ると、ガッカリ~な気持ちになります。
教育も文化芸術の奨励も産業育成も農業支援も道路や河川の改修も福祉政策も、全ては県民の満足のため、幸福のために行っているのでしょ?
部内の自分の立場や所属する課のことだけ考えているようでは、職務としては成り立っても、県の職員としては失格です。
横にある自分の木を一生懸命育てることに汗を流し、俯瞰から森全体を見る。森の中において自身の1本の木の役割を考える。逆にその1本の木が森に与える影響を考えながら育てることが出来る職員は、こちらがぶつけた課題点についても、しっかりと共有でき
何処と連動したら課題解決になるのかを一緒に考えてくれる職員。
セクショナリズムとは少し違って、公僕としての使命感があるかないかだと感じます。
話はそれましたが、こちらも登壇して質問をする以上、ゼロ回答やうやむやな答弁をもらっても質問をする価値が無いので、抜粋段階で切っていくのですが、今回は余りにも残念な思考の職員に対しては、議場で白黒つけましょうか?という気分になっています。
これから具体的な質問原稿の執筆に移って行きますが、これまでのヒアリングの経緯も含めて、部局内の各担当課との連動やつながりなど嫌味も含めた質問をひとつだけぶつけようかと思っています。
浜松まつり
浜松まつりの起源は、今からおよそ450年前の永禄年間、当時浜松を治めていた引馬城主飯尾豊前守に長子義廣公が誕生し、殿様の跡継ぎ誕生をお祝いしようと、入野村の住人、佐橋甚五郎の進言によって義廣公の名前を凧に記して城中高く揚げたのが始まりと言い伝えられています。
実際の凧揚げ合戦や御殿屋台は終戦後ともいわれていますし、祭り=祀りではなく、町内で発語の成長をお祝いするフェスティバル=催し物てきなモノですが、浜松に生まれ育った私には、そんなの関係なく、ひたすら楽しい3日間なのです。
凧場で騒ぎ、華やかな屋台を引き回し、夜の練りは一種の覚醒のような感覚に似た高ぶりを感じられます。
1年の間のたった3日間。こんなバカ騒ぎのお祭りがあっても良いじゃん!と思えてしまうのです。
昨今は、浜松まつりも「観光化」されてしまい、参加する人のまつりなのか、見物に来る観光客のためのまつりなのか?分からなくなってきてしまいましたが、ルールの中で目いっぱい楽しむ方法を段取りするのもまた楽しい一面もあります。
正直、昔のように朝6時から深夜2時3時までのバカ騒ぎを3日間続けれる自信は皆無なので。笑
ただ、千年の歴史を持つ岩手県奥州市に伝わる伝統行事「裸祭り」は上半身裸のポスターを「不快感を与える」としてJR東日本が掲示を拒否し話題になったことは、皆さん記憶に新しいと思いますが、地域の伝統や文化風習を「不快」と誰の判断で決めつけてしまうのか?
一部の過敏な感覚の人の声が大きく通ってしまっているのでは?そんな危惧も持っています。
浜松まつりも、夜の練りの「ラッパ」が煩いとのクレームが増えだして夜10時までとなりましたが、173の参加町全てでクレームがあったのか?と言えば、決してそんなことは無いと思っています。
各自治会単位で町民と話し合い、其々の町内で10時までとか11時までとか、朝までとか(笑)決めて、おまつりを楽しめば良いのではないでしょうか?
全国には夜通し踊りまくるお祭りも沢山あります。磐田市の見附天神祭も「裸祭り」の奇祭ですが、ポスターを含めて「ケシカラン」なんて話は聞いたことがありません。
男性のシンボルを祀り、ご神体として引き回す祭りだってありましたよね?
男女平等だとかLGBTだとか個性の尊重だとかを声高らかに訴えるなら、尚更、全国の奇祭やその表現に、第三者が口を出すべきではない!と強く思う次第です。
自町の浜松まつりは、時間厳守で事故も事件もなく、綺麗に終わりましたが、中央の屋台運航も合同練りも、実行委員会に物申したい課題は沢山あったと思います。
浜松っ子の皆さま、お疲れさまでした! 362日後に、また楽しみましょう!
浜松まつりも全国の祭りも、その行事に直接携わらない人の意思で、様々な制約がつくられていないだろうか?