お知らせ(ブログ)
大阪万博への出展をめぐり…
所属する産業委員会で、大阪万博への出展事業に対する質疑を行いました。
5390万円の使途として、企画料=800万円、設営料=1500万円、VRなどの映像関係=1300万円との答弁。
茶畑とワサビ畑を見る約5分間のVRは最大5人が同時視聴とのこと。
5人×12回(1時間)×8時間×3日間=1440人(交代時間を含まず、途切れることもない最大人数)としても@9027円
一人1万円をかけて茶畑とワサビ畑のVRを見せてどんな効果があるのか?との質問に明確な答弁はありませんでした。
さらに、対象者数の9000人の根拠は?との質問にミラノ万博に出店した際の来場者をもとに設定したとの答弁。
ミラノと大阪では、日本人・外国人の比率も大きく異なるし、静岡県への来県や買い物を推進する意気込みが感じられない。
総事業費5390万円+ブース代75万円÷ブースへの来場者9000人=@6072円もかけての予想経済効果は?の質問にも明確な答弁がありませんでした。
討論の際に、「討論というより提案ですが、鈴木知事の所信表明では①経営感覚とスピード感を持った行政運営②税金は無駄にしない③最小の経費で最大の効果を上げる行政とされていたが、この事業はおおよそかけ離れていると感じる。
予算額自体は2月定例会で当初予算として決議しているので、減額は求めないが、予算額に見合った事業内容の再考と波及経済効果の設定を求めたい」と発言をしたところ、大石健司委員長より、山本委員の発言は重く受け止め委員長報告に盛り込んでいただけることとなりました。
さらに昨日の報道では鈴木知事も「高すぎる」とお怒りの様子だとのことですが、6月12日に鈴木知事は記者会見で大阪万博出展と事業内容を発表しているので、容認していたと捉えられてもしかたないとも思います。
さらにさらに、この予算は2月議会で議決されましたが、その時点での事業説明は「日本茶のおもてない、VRなどを使った食の紹介」程度で具体案は何も記載されていませんでした。
→これでは、昨年度の産業委員会でも質問のしようがなかったのかなと感じます。
まてよ?その時から5390万円という何とも中途半端な金額が提案されていたのですから、項目ごとに見積もりを取って積算したハズですよね?なぜに2月議会の議案は、曖昧な事業展開案しか記載しなかったのか?
【結論】何をやるか決めてないけど、とりあえず出店しよう。ほかの行政や過去を参考に5390万円で計上してみましょう。予算が通ったので、消化できるよう代理店に丸投げした事業展開案が6月議会ででてきた。
そんあ邪な想像をしてしまうようなお粗末な事業案なのです。
鈴木知事に「幸福度」について質問しました
鈴木康友さんが県知事となって初の6月定例会の一般質問にて登壇しました。
16年間の鈴木康友浜松市政において、一般社団法人日本総合研究所の調査では政令指定都市において浜松市が「幸福度日本一」になりました。
この発表を受けて鈴木知事は市長時代に「政令市で日本一ということは全国の市町で日本一だ」と誇らしげに語っていました。
市民が浜松市に誇りを持ち、幸福感を持っていただくことは大切なことですが、別の民間研究機関の調査の「第5回地域版SDGs調査2023」では、静岡県は26位。
さらに、他の民間調査の「住みよい街ランキング」では、浜松市は109位とその判別は様々。
つまりは、調査会社や調査方法によってランキングなんてものは、いくらでも変わってくるし、住民の一人一人が幸福感を持ってもらうことが大切なのです。
日本一と胸を張る一方で、ご承知の通り静岡県は人口当たりの交通事故が日本ワーストワン。その静岡県内35市町の中で浜松市がワーストワン。
交通事故ワースト日本一の浜松市が、どうして幸福度日本一になるのでしょうか?
さらには、静岡園内の自殺者は約600人。うち浜松市は約200人。静岡円の生活保護世帯は約30万世帯もあり、不登校の子どもたちは県内で約1万人。
これらを見ないことにして「幸福度日本一」だと胸を張る行政は、住民の幸福度追求の思考回路が停止してしまっているのではと危惧します。
幸福度はそれぞれの思いで感じるもので、行政は幸福度アップ(※日本一のランキングでを追うものではない)のために、ゴールのない永遠の追求課題であるべき。
との思いを知事にぶつけてみましたが、答弁は「ウェルビーイング指標」に照らし合わせるとの答弁でした。
ウェルビーイング=アンケート調査による主観的幸福度と経済や健康や暮らしの環境を客観的に数値化したもので、最も現実に近い指標ですが、こればかりを追い求めていると
人としての大切な感情が置き去りにされてしまうのでは?と心配になります。
静岡県民360万人の全員に幸せを感じていただくことは不可能です。
だからこそ、ゴールのない課題として行政はチャレンジし続けるべきではないでしょうか?
憲法改正
自主憲法の制定は自民党の党是であるはずなのに、一向に話が進まないのは何故?
あくまで私の推測ですが、今の自民党に憲法を改正する本気度は無いと思っています。
自公政権において、公明党は憲法改正には反対の立場。
しかし、連立政権を取っている以上、かたくなに拒むことも出来ない。
一方、自民党は様々な法案を通すために公明党の同意と協力が不可欠。
そこで、常に憲法改正をちらつかせたり、引っ込めたりしながら、ほかの法案について公明党に歩み寄りを促しているのでは?
つまりは、公明党の協力を得るための道具として憲法改正を掲げている気がしてしまいます。
当然、公明党を無視して憲法改正に突き進めば、公明党の選挙協力を失い、自民党は成り立たなくなるし下野する危険性もあるので、
持ちつもたれずの関係を保っているのですが、、、
日本国憲法(9条)を変えると戦争になるという恐怖感を持った一部の人を安心させる材料はありません。←感覚の問題なので
国民民主党の緊急時の国会議員の身分だけを訴えるのも核論過ぎるきもします。
私は、条文の一文字を変えるだけでも良いので、先ずは日本国民の手で作った憲法を見てみたい。
そして、時代に合わせて改正してけば良いとも思っています。
そのためにも、憲法審議会だけは立憲民主党も拒まず開会していただきたい。
国会議員には、自分たちの手で、英知を結集し、新しい憲法を作り、その憲法に責任ある行動をしていただきたいのです。
その時々の都合の良い法解釈もしないことも条件です。
日本人は真面目で勤勉?
自動車メーカーの相次ぐ不正問題が話題になっています。
ゼネコンも建築メーカーなども度々不正工事がニュースになります。
組織の中で、不正を申告し辛い環境があった。開発時間が短すぎて不正せざる得ない状況が形成されていた。などと原因(背景)が報じられますが、はたしてそうなのでしょうか?
日本人は真面目で勤勉だというのは神話であり性善説だったのではないか?
私も「バレなきゃいいだろ?」「このくらいなら少々ごまかしても?」そんな思いがよぎることは日業茶飯事です。
一旦、その思いを止めて、バレたら誰にどの程度の影響を与えてしまうかを想像するようにしています。
自分を誤魔化して、後悔の念やくやしさ・悲しさを薄める分には、誰にも影響を与えませんので。笑
そもそも「ずるがしこさ」は「生物が持つ知恵」であり、人間は特に進化し様々な集団生活=社会を形成してきたように思います。
ですから、日本人を問わず、人間という生き物は「ずるい」「自分(たち)のためには他人を裏切る」ことにより、自分の輪や組織を維持してきたのではないでしょうか?
しかし、個人単位の不正で第三者(周囲の2~3人)に影響(損害)を与える事案と、自動車メーカーの不正では与える影響の規模が違いすぎます。
生産を止めたら、何百社もの部品製造会社への発注が止まり、下請けは大損害を受けます。
大規模建設現場での不正は、工事のやり直しもままならず、大損害・大事件に発展します。
つまりは、不正がバレた時のリスクを考え行動することが大切です。その上で、日常生活の中の「小さなウソ」には寛大に対応することも必要なのかな?と思います。
だって、人間はそもそもズルい生き物なのですから。
もちろん、私もとてもズルい人間だと自覚しています。
公約って…
静岡県知事選挙は激戦でしたね。
当選された康友さん、惜敗した大村さん、ともに様々な政策公約を訴えて戦ったのですが、相手陣営の出方を見ながら公約のニュアンスが変化したり、
中盤以降は口に出さなくなったり、撤回したり、新聞の政策比較が追い付いていない部分もありました。
世間が注目していたリニア中央新幹線工事にかかわる静岡県の専門部会の在り方。島田市長が「専門部会をいったん白紙にしては?」の発言を受け、康友さんは「継続し専門部会を尊重する」と発言していたと記憶しますが、
昨日の記者会見では「継続というよりもあり方も含めて検討していきたい」とほぼ選挙中の発言とは真逆の見解を述べました。
東部の医者不足を解消するために、「医大を誘致。つてもある」と訴えていたとハスですが、当選後は即時「ハードルが高く現実的ではない」とのコメント。
選挙時の公約、訴えって何なのでしょうか?
選挙ですから勝たなくては意味がない。激戦・横一線と報道されヒートアップするのは理解できますが、過度なリップサービスや風呂敷は広げてほしくないですね。
6月に一般質問で登壇するのですが、知事の政治姿勢について選挙時の発言には、あまり触れたくないのですが、、、
あれこれ各論を質問するより、大儀や姿勢を確認した方がいいのかなぁ?など悩ましい日々が続いています。