お知らせ(ブログ)
終戦記念日
玉音放送が流れ、日本がポツダム宣言を受託したことを国民に知らせ、日本の戦争は終結を迎えました。
あれから79年。
忘れてはならない「終戦の日」を記念日と呼ぶことに抵抗を感じながらも、日本の弥栄を信じて散っていった英霊たちに哀悼の誠をささげ、防衛以外の戦争に巻き込まれない毅然たる平和主義を貫くことをお誓い申し上げました。
例年は、アクト浜松ホールで行われる「浜松市戦没者追悼平和祈念式」に出席をしていましたが、今年は地元にある小さな小さな護国神社(芳霊神社)にて独りで平和絵の祈りを捧げました。
今後も地元の神社への参拝に切り替え湯と思っています。
地元から戦地へ向かい命を落とされた方、遠州灘の艦砲射撃で命を落とされた方…地元の英霊を重要視したいから。
幸いにも戦争で命を落とした先祖はおらず、祖父は歩兵部隊でしたが無事帰還。父は前線に送られる直前に終結となったとのことでした。
ですから、祖父や父から戦争の悲惨な体験談は聞くこともありませんでしたが、母は大連からの引き上げ、父は朝鮮半島からの引き上げを経験し、ともに身ぐるみはがれて体一つでの帰国だったそうです。
母方は大連でストーブ工場を営み、それは裕福な生活だっとと聞きました。敗戦後、多くの日本人が中国人から迫害・略奪を受ける中、財産こそは募集されましたが当時の現地お手伝いさん達に安全な帰国ルートの手配をしていただいたおかげで
安全かつ短い期間で帰国できたそうです。父も帰国自体はスムースに行えたと聞いております。まれな幸運の両親だったのかも。
ですから生々しい戦争体験の話は知りませんが、幼い頃にテレビで見たベトナム戦争や、イラク戦争、最近ではロシアによるウクライナへの進行などテレビ以外でもSNSなdの動画でより醜い悲惨な動画を見る機会も多く、
絶対に戦争に巻き込まれてはならない。と強い気持ちを持っています。
その平和維持が、武力による抑止なのか平和への対話なのか、どちらが効果的(当然両方必要でしょうけど)なのか決定的な結論は自分の中では出ていません。
この先の日本に一抹の不安を抱きながらも、手を合わせ平和を願った一日でした。