お知らせ(ブログ)
終戦の日と防衛予算
昨日は終戦の日でした。浜松市戦没者慰霊平和祈念式典は台風の影響で中止となりましたが、先の大戦でお亡くなりになられたすべての皆様に哀悼の意を捧げます。
日本は台湾海峡、北朝鮮、ロシアとの間で緊張が続き、防衛能力の増強が喫緊の課題であることは私も同感です。
トマホークなどの装備を充実させ、いざと言う時には敵地攻撃も辞さない。近隣諸国に向けたアピールとしては否定はしません。
しかしながら、ロシアによるウクライナ侵略を見ていると、各施設への攻撃や占拠、インフラ網の破壊と称して駅や公共施設へのよう社内ミサイル攻撃…
もちろん、国際法違反と世界から批判の声明が出ていますが、そもそも戦争とは勝つか負けるか、奪うか奪われるか、殺すか殺されるかで、戦争法に基づき民間人を一切巻き込まない戦争なんて人類が誕生してから一度だってありません。
国際法(ルール)にのっとった戦争なんてスポーツやゲームでもないので、あり得ないのが事実。
中国の台湾施行あたりを引き金に第三次大戦にでもなれば、戦略的核弾頭も使うだろうし原子力発電所への攻撃も容赦なくミサイルが飛んでくると思います。
こうなった時にトマホーク飛ばしても遅いのです。(無意味とは言いませんが)
防衛予算の増額には反対しませんが、抑止力としての兵器を並べても相手国を徹底的にたたく装備を有することは難しい。
防錆=国家を守る=国民の声明を守る。ということで、ミサイルなどの武器も必要ですが、同時に国民の命を守るためのシェルターを何故作らないのでしょうか?
東京や大阪に弾道ミサイルが1発飛んでくれば、どれほどの死者が出来るのか?
ウクライナを初め、戦争や紛争を継続的に経験してきた諸外国は、公共施設を初めいたるところにシェルターを設置しています。
地下鉄や役所はもちろん、サッカースタジアムですら避難シェルターを設置しています。可能な限り国民の声明を守る=兵士としての攻撃能力を減らさないことにも通じます。
戦争は絶対にしてはならない。しかし、一方的に攻めてこられたら、現状でどう国民の命を守れるのか?先の大戦のように自分で庭に防空壕でも掘って備えよとでも?
未だ、国内では様々な公共施設が建設されています。中には自然災害時の避難場所機能を兼ねている建設物もありますが、戦争はない。ミサイルも飛んでこない前提で建設をしています。
せめて公園や新設の学校、役所の地下には避難シェルター機能を持たせた建造物をつくるべき。その予算を防衛費に盛り込むべきだと思います。
戦争とは、弱い人間から死んでいく残酷な現実。